ウマ娘プリティーダービーに出てくるウマ娘はほぼ名馬ばかりですが、
今回はその中で史実がGⅠ未勝利だったウマ娘をピックアップしていこうと思います。
史実でGⅠ未勝利だったウマ娘一覧
まずは該当するウマ娘たちをピックアップしてみましょう。
生涯成績がGⅠ未勝利だったウマ娘は、
- マルゼンスキー
- メジロアルダン
- マチカネタンホイザ
- イクノディクタス
- ナイスネイチャ
- ロイスアンドロイス
- ビコーペガサス
- サムソンビッグ
- ツインターボ
- ユキノビジン
- ツルマルツヨシ
- サウンズオブアース
- デアリングハート
- ハルウララ
大体ですが、年代順に並べました。
1頭意外なのがいますが、順番にお話ししていこうと思います。
尚それ以外の様々な記録は以下にまとめてみました!
マルゼンスキー
スーパーカーでお馴染みで、ウマ娘でもとてもマブイ女なマルゼンスキーですが
意外にもGⅠ未勝利だったりします。
その理由は当時阻まれたマル外(持ち込み外国産馬)という事情により
クラシックレースが出れなかったのと、現在ほどGⅠの数が無かったのと
有馬記念に出ようとしてたものの、その前に故障があり引退してしまったからです。
因みに当時朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)は
GⅠではありませんでした。
(1984年からGⅠ導入。マルゼンスキーが出走したのは1976年)
因みに他にもその類のレースがあり
- 府中3歳ステークス(現在のGⅡ東京3歳ステークス)
→当時はオープンで、GⅢになるのは1996年から、GⅡは2021年より - 日本短波賞(現在のGⅢラジオNIKKEI賞)
→当時は昔の名残(1955年から1967年までダービー未出走の競走馬が条件だった)もあり
残念ダービーとも呼ばれていた。GⅢになったのは1984年から
といった具合です。
上記にも述べたとおり有馬記念も出走予定してて、
翌年は海外(凱旋門賞やワシントンDCインターナショナル)なんてプランも
あったそうなのですが、故障により叶わず引退。
しかしその実力はとてつもなく、上記の日本短波賞に出走した2着の競走馬は
後に菊花賞を勝利するなどしていたので、そこだけ見ても明らかでしょう。
ちなみに出ようとしていた有馬記念の強豪馬は
当時TTG(テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス)と呼ばれる馬がいましたが
そのうちトウショウボーイの子孫でウマ娘にもモデルとなっている競走馬に
クラシック3冠馬のミスターシービーや、菊花賞を勝ったマチカネフクキタルがいますし
トウショウボーイの父にあたるテスコボーイからたどった場合になるとその数がもっと増えて
上記2頭以外にも
- サクラバクシンオー
- ユキノビジン
- キタサンブラック(母父がサクラバクシンオー)
- ゴールドシチー
- アイネスフウジン
といった具合にざっとなります
マルゼンスキーの生涯成績は8戦8勝でしたが、どのレースもぶっちぎりで勝利し
8戦合計の引き離した距離は61馬身という記録がのこっています。
マルゼンスキー自身は結果的にGⅠ勝利に恵まれなかったわけですが
子孫たちの活躍はその無念を晴らすかのような活躍っぷりですね!
メジロアルダン
世代的にはオグリキャップの世代になります。
つまり、ヤングジャンプで連載のシンデレラグレイにも登場しているということですね!
名前の通り華麗なるメジロ一族なわけですが、
デビューから引退までの約3年半のうち
半分以上は故障で泣かされた競走馬でもあります。
そして勝つ事が出来た重賞は高松宮杯(後の高松宮記念。当時はGⅡで距離2000m)のみ。
(因みに一緒に出走していたのは安田記念を制したバンブーメモリーがいた)
しかしこのレースはレコード勝ちしてるので力はあるのがよくわかります。
しかし勝てなかったGⅠを見てみると
競争名 | 順位 | 1着だった競走馬 | 補足 |
東京優駿 (日本ダービー) | 2着 | サクラチヨノオー | 最終直線で先頭に立ったものの 最後で差し返された この後骨折して長期休養 |
天皇賞・秋 (1989年) | 3着 | スーパークリーク | 2着はオグリキャップ この後屈腱炎で2回目の長期休養なる |
天皇賞・秋 (1990年) | 2着 | ヤエノムテキ | ヤエノムテキは皐月賞馬。 頭差の惜しい戦いをした。 尚この時の勝ち時計は当時のレコードタイム |
有馬記念 (1990年) | 10着 | オグリキャップ | 2番人気だったものの オグリキャップの奇跡の復活のレースで その影に隠れる |
当時強かった競走馬が軒並み並んでいるのがよくわかりますが
怪我に泣かされなかったらもう少し走れていたのかな?とも思ったりします。
尚、メジロアルダンの子孫は中国で活躍しています
マチカネタンホイザ
ウマ娘では「えい、えい、むん!」で一世を風靡し
出走ウマ娘としても実装が待たれていたが、2022年3月に満を持して実装されたマチカネタンホイザ。
(そして語録がさらに増えた)
重賞自体は割と勝っており、以下の4レースになります。
- ダイヤモンドS(GⅢ3200m。当時レコードタイム)
- 目黒記念(GⅡ2500m)
- アメリカジョッキークラブC(GⅡ2200m)
- 高松宮杯(GⅡ2000m。後の高松宮記念)
中長距離で活躍していたのがわかりますし、ダイヤモンドSのレコードは素晴らしいの一言。
それなのになぜGⅠが勝てなかったと言えば、
競争名 | 着順 | 1着になった競走馬 | 補足 |
朝日杯3歳ステークス | 4着 | ミホノブルボン | |
皐月賞 | 7着 | ミホノブルボン | |
東京優駿 (日本ダービー) | 4着 | ミホノブルボン | |
菊花賞 | 3着 | ライスシャワー | 2着はミホノブルボン。同馬の クラシック三冠を阻止されたレースで 当時のレコードタイムでもあった |
天皇賞・春 (1993年) | 4着 | ライスシャワー | メジロマックイーンの3連覇が 阻止されたレース |
ジャパンカップ (1993年) | 15着 | レガシーワールド | |
有馬記念 (1993年) | 4着 | トウカイテイオー | いわゆる トウカイテイオーの奇跡の復活レース (364日ぶりのG1出走で勝利した記録) 2着はビワハヤヒデ、3着はナイスネイチャ |
天皇賞・春 (1994年) | 4着 | ビワハヤヒデ | |
宝塚記念 (1994年) | 9着 | ビワハヤヒデ | |
天皇賞・秋 (1994年) | 4着 | ネーハイシーザー | |
ジャパンカップ (1994年) | 競争除外 | マーベラスクラウン | 除外原因は鼻血。 アニメでもこれを元ネタとして 鼻血をするシーンがあった |
天皇賞・秋 (1995年) | 4着 | サクラチトセオー | |
ジャパンカップ (1995年) | 12着 | ランド | 1着のランドはドイツの馬で 1994年・1995年のドイツ年度代表馬 |
ご覧の通り、見覚えのある名前がずらりと並んでいますね!
ゲーム内では普通と言ってますが血統的はそんなことは全くないです。
なにせ父は秋川やよい理事長の元ネタの可能性と言われているものでもある
大種牡馬ノーザンテースト。
しかし勝ちに恵まれなかったのは強豪ぞろいの世代なのと
自身に降りかかった不運(鼻血やクモ関係等)の影響で致し方なしなのか・・?
尚、ノーザンテーストの血統がどれくらい多いかというとウマ娘範囲だけでもご覧の通り。
イクノディクタス
史実では一度も故障せず競走馬障害を終えた事から「鉄の女」とも呼ばれています。
(史実は牝馬です)
しかも出走したレースが51走というんだから驚きですよね!
重賞レースで勝利したのは、
- 京阪杯(GⅢ)
- 金鯱賞(GⅢ)
- 小倉記念(GⅢ)
- オールカマー(GⅢ。現在はGⅡ)
といった感じです。
世代的に今回のリストに載ってる競走馬では
ナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、ツインターボらとも競い合いました。
GⅠで2着だったのは安田記念と宝塚記念がありましたが
それぞれヤマニンゼファー、メジロマックイーンに阻まれる形となりました。
ナイスネイチャ
有馬記念を3年連続3着という珍記録で有名なナイスネイチャ。
2022年現在もご存命で、この時点で齢34歳!
(2022年4月時点で存命中のJRA重賞を勝っている最高齢馬)
そんなナイスネイチャの重賞勝利はというと
- 小倉記念(GⅢ)
- 京都新聞杯(GⅡ)
- 成尾記念(GⅡ)
- 高松宮杯(当時はGⅡ)
この4つでしたが、冒頭で述べた有馬記念3年連続3着を始めとした
3着が8回、2着が5回といった善戦ホースぶりもあってか
獲得賞金は驚きの6億2358万5600円というのだから衝撃ですよね!
因みに同世代にはトウカイテイオーやビワハヤヒデをはじめとした
猛者が集う世代でもあったので、それが勝ち切れなかったのかどうか・・?
それでも有馬記念3年連続3着は凄いと思います!
ロイスアンドロイス
世代的に言うとBNW世代(1993年)。
ただ、初勝利をしたのはクラシック時期のダービー以降と遅咲きでした。
(ダービートライアルの青葉賞はチャレンジしたが3着)
その後菊花賞には出走できるも、ビワハヤヒデが大きく立ちはだかった年なので勝てず7着。
その後G1は天皇賞秋に出るも、ビワハヤヒデは勿論、ウイニングチケットも立ちはだかり中々1着にはなれなかった(秋天は3着)
ジャパンカップは国内の有力馬が軒並み見送りとなり、
ナイスネイチャやマチカネタンホイザなどの、G1が勝ちきれない馬と共に海外勢に挑む形になり、その中では奮闘しましたが勝てず。
それ以降も結局G1どころか重賞も勝てないまま競争生活を終えました。
(最期は7歳の天皇賞春の後放牧してる最中に腸捻転により死亡)
ビコーペガサス
ウマ娘ではキャロットマンを好んでいる小柄なスプリンターですが、
史実も小柄でした。(大体430kg前後)
勝利を挙げる事ができた重賞はというと
- 京成杯(GⅢ)
- セントウルS(GⅢ)
だけでしたが、勝てなかったGⅠは善戦していることが多く、3回2着になったのですが
- 1994年スプリンターズS→サクラバクシンオーが有終の美を飾るレコード
- 1995年スプリンターズS→ヒシアケボノが勝利。
馬体重差が凄い(出走時の馬体重がビコーが432kg、ヒシアケボノが560kg) - 1996年高松宮杯→フラワーパークが勝利
といった感じになっていました。
実際見ていただくとわかりますが直線の末脚が素晴らしく
かなりの追い上げを見せているのがわかるかと・・!
(上記動画はそれ以上にバクシンオーが強かったとも言えるが)
サムソンビッグ
ナリタブライアンやサクラローレルの世代です。
重賞を勝利したのはGⅢのきさらぎ賞のみ。
(ちなみにこの時の単勝は172倍とのこと)
クラシックはナリタブライアンが三冠をとった年で出走したものの、
皐月賞がブービーで、残りが最下位という逆三冠になりそうだった模様。
その後も成績が振るわなかったので、6歳時に障害レースに転向という生涯でした。
転向最初のレースはレコードだったようです。
引退後は馬術大会にも出てたようですが、
その後の消息が不明になってしまったみたいです。
ツインターボ
史実でもウマ娘でも人気の高いツインターボ。
上記のビコーペガサス以上に小柄です。(馬体重大体410kg前後)「タ”ー”ホ”に”つ”い”て”こ”ー”い”!」
逃げで強いのはサイレンススズカなどが挙げられるものの、
G1未勝利ながらも印象に残る逃げ、
あるいは大逃げとなるとぶっちぎりで候補に君臨するレベルです。
そんなツインターボはテイオーやマックイーン世代。
最初から先頭を走り、ぶっちぎりで突き放す所からはじまり
そのまま逃げ切るか、逆噴射して馬群に沈むかという極端なレースがファンの心をつかみました。ただ一つ、帝王賞の時は後ろからのスタートを切りましたが・・(騎乗していたのは武豊騎手)
勝利した重賞はというと、
- ラジオたんぱ賞(GⅢ)
- 七夕賞(GⅢ)
- オールカマー(GⅢ)
この3つです。ウマ娘ではオールカマーのシーンを再現して感動を呼んでいたわけですが
このオールカマーの展開があったのは前走の七夕賞があったからこそです。
実際のレースを見ていただくとわかりますが、
ツインターボ含めて大体の競走馬が力尽きています・・(笑)
まあ先行馬が5頭という地獄のレースだったのでしょうがないですね・・
それがあったので、オールカマーで大逃げしたツインターボを追わずにいたら
じつはペースが大したことがないというオチ。
これだけは真実をはっきりと伝えたかった・・・!
ユキノビジン
ウマ娘では方言全開になっている子で、ゴールドシチ―に憧れている存在。
(「だすけよ」は青森南部地方の方言で、「そうだね」という意味があるそう)
最初は地方(盛岡)からデビューしましたが、中央入り(最初からその予定だったらしい)。
勝利をした重賞は引退するのが早かったのもありクイーンS(GⅢ)のみ。
(後述するエリザベス女王杯のあと1戦した後、故障もあり引退)
史実では牝馬だったので、クラシック路線はトリプルティアラ目指して出走はしていましたが
桜花賞と優駿牝馬(オークス)はベガが勝ちましたが、
このベガのモデルと思われるのはゲーム内でハープアルファという名前で出てきます
そして残り1冠(当時)のエリザベス女王杯(当時の3冠レースだった)は
「ベガはベガでもホクトベガ」
のフレーズでも有名になったレースだったりします。
余談ですが、ベガの子供にウマ娘でも登場しているアドマイヤベガがいたりします。
ツルマルツヨシ
世代でいうとスペシャルウィーク達の98年世代で
父はトウカイテイオーと同じくシンボリルドルフだが
体質が弱かったためデビューも4歳未勝利(皐月賞より後)と遅く、
本格的に勝つまで時間がかかりました。
勝った重賞は京都大賞典(G2)と朝日チャレンジカップ(G3)の2つですが
そのうちの一つである京都大賞典の他の出走者は
- メジロブライト
- スペシャルウィーク
- テイエムオペラオー
- ステイゴールド
といったそうそうたる顔ぶれの中で勝ったので実力は確かでした。
尚アニメではスペシャルウィークが太りすぎて撃沈したレースという扱いになっていて
それ以降にも1999年の天皇賞・秋(2番人気だった)、有馬記念にも登場しています。
有馬記念ではグラスワンダー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーらと
4頭並ぶ死闘を繰り広げたので、実力派確かなのは間違いありませんでした
しかし、有馬記念の後は再び調子を崩してしまい
翌年2000年の有馬記念を最後に引退しました
引退後は種牡馬にはなれず、京都競馬場の誘導馬として活動していましたが
2007年に引退し、余生を送っておりますが
2011年にオーナーが亡くなった都合で危うく処分されそうになったところ
現役時代の担当厩務員たちが立ち上がってツルマルツヨシの会という支援団体を設立しました。
2022年現在も脚の症状と折り合いつけながら元気に暮らしてるようです。
サウンズオブアース
世代的にはキタサンブラックの一年先輩にあたります。
オープンまで上がれたのは3歳に入ってからなのですが、その後ダービーから初G1です。
しかし、菊花賞も含めて勝てず、古場となってからもゴールドシップや、先ほど名前を挙げたキタサンブラックにサトノダイヤモンドなどが君臨していたので、最後までG1勝利ができませんでした。
ちなみにサウンズオブアースはドバイWCにも出走していたりします。
デアリングハート
同世代にはエアメサイア、シーザリオ、ラインクラフトなどがいて
ウオッカやダイワスカーレットもだが、兄であるダイワメジャーとも戦っています。
重賞自体はGⅢを3勝(クイーンS、府中牝馬Sを2勝)しています。
GⅠもクラシック戦線も含めて出走はしましたが、上記のラインクラフトやエアメサイアに阻まれ、
さらに古場戦線になっても下の世代に勝てず、その中に上記に挙げたダイワスカーレットやダイワメジャーをはじめとした競走馬に勝ちきれない状態となりました。
最後の方はダートレースも出たりしましたがこちらも勝ちきれず。
そんなこんなでデアリングハート自体はGⅠを勝ちきれなかったわけですが、
孫世代であるデアリングタクトが偉業をなし得たので
競馬はどうなるかわかりませんね・・!
ハルウララ
もはや説明する必要がないかもしれませんが一応。
ハルウララは高知競馬で主に出走していましたが
G1はおろか、一度も勝つ事が出来ないことで逆に人気が出た競争馬です。
その生涯成績は113戦0勝!
現在は千葉県のマーサファームにてその余生を送っています
現役時、かなり酷使されたと思いますので
ゆっくり余生を過ごしてほしいものですね・・!
まとめ
気になったのでまとめてみましたが、マルゼンスキーは意外でしたね!
他にも何頭かいたわけですが、
そもそも未勝利で競走馬を終える数多の競走馬がいるわけですから、
重賞を勝つということだけでも実際の競馬では凄い事だと言う事です。
(ハルウララは未勝利だけど例外でしょう)
そしてどの競走馬も愛されるべき存在であることも間違いないです!
コメント